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内観で両親への気持ちが一変し、長い苦しみから抜け出せました。

摂食障害 断食内観コース 女性 34歳 会社勤務 岡山県

最後の日、やっとやっと見ることのできた日の出がすべてを物語ってくれているようでた。

10年以上続いている摂食障害をはじめ、自分の中での葛藤、もどかしさや苛立ちの毎日。外に解決方法を求めてもムダだ。これは自分自身の問題。原因は私の中にある。私が変わらなければ!!何かが違うんだともがいていた。

過食も含めて私自身何かをふっきりたかった。生まれ変わりたかった。何かをつかみたかった。その思いが私をここまで運んでくれました。

1週間のここでの生活を終え、今つくづく感じていることは、鬼木先生の本にもありましたが、自分がどれだけ理性=頭で考えて生きてきたか、ということです。

食べるということに関しても、体で感じてキャッチするのでなく頭でいちいち考えて食べていました。そして人間関係や生活の隅々にいたるまで、すべてのことを頭で考え行動し、自分を縛っていたのです。

自分を縛ると同時に、自分もこうしているんだからと人にも求めていました。それは相手にとっても苦痛だったと思います。そんな自分は、何かを欲しているんだけれども、それが何かわからない。自分の感じているものがわからないー。

そのもどかしさをずっと感じていて、そのジレンマが私を過食に向かわせていたのだと思います。でも、今は心がとても優しくなっているのを感じています。そして、自分を大切にしたいと心から思います。

それは、食べることで言えば、体が本当に欲しているものをキャッチして満たしてあげること、ありがたいと感謝して食べること。

また、内臓だけでなく精神的にも、トータルに自分を満たしてあげたいということです。そして、自分を大切にすることが、私を今まで育ててくれた両親への恩返しだと思うのです。そういう心境に導いてくれたのは、「内観」という作業があったからでした。

内観に入る前、先生のお話を聞いている時は、正直そんなに簡単にいくのか?と思っていました。しかし、最初に母への内観をやってみて、日常の当たり前のこと、料理や掃除や洗濯、身の回りのことなどを何十年もやってくれたことを、自分の目からでなく母の立場にたってみたとき、胸がいっぱいになりました。

そしてそれを思い出すと、翌日からの内観もそれをベースとしていろんなことが思い出されました。

そんな数多くの母の愛を愛として、うまく自分の中で育んでいけばよかったのに、これまでの自分は、母が愛をくれなった、抱いてくれなった、と責めてばかりいたということも内観中、気づかされました。

そして、母に対してごめんなさい、自分自身に対しても痛めつけてごめんなさい、という懺悔のような気持ちがふつふつと湧いてきました。

自分を信じられず否定して、両親を否定して生きてきた自分は、苦しかっただろう。私がここに存在していること、そうなってしまった自分を、両親への懺悔も含めて許してあげたい。今まで苦しんできたけれど、やっとここにたどり着いた、よくここまで来たとー。

そして6日目の今日思ったことは、母自身も父自身も感性のゆがみというか、(父は精神をわずらい、母は少し暴力がありました)二人の生い立ちを知っているので、両親ともにつらかっただろうということでした。

母自身、過食ではないけれど苦しみを抱えたまま、私を生み育てながら、その苦しみをじっとこらえてきた、私だけがこんなに苦しんでいたのではではなかったんだ、と。

私はこうして立ち止まることができたけど、母たちは立ち止まることさえなく、つらい思いを抱えたままだった、それにもかかわらず、母たちなりの接し方で愛を伝え続けていたんだ、と思いました。

二人がしてくれたことは、私には到底真似ができません。私のような状態でいながら、私と妹を育ててくれたのです。しかも毎日、料理を作り、掃除、洗濯をしてくれ、不自由のない生活をさせてくれました。私は、その上にあぐらをかいていたのです。

母にたたかれても、その奥にはしっかり愛情が流れていたことも、内観をしてわかりました。今までは、表面的な形だけを見ていましたが、その愛情が本当にわかれば表面のことはとるに足らないと今思います。

また、鬼木先生が最初の日おっしゃった、「摂食障害さまさま(ありがたいこと)だよ」ということの意味も、そのときは?でしたが、今はよくわかる気がします。

摂食障害が発病したことは苦しみでしたが、それは、何か自分がいろんなことをゆがんだ受け止め方をしていたからで、ちょっと立ち止まってみなさい、というメッセージなんだ、たとえば食べることへの感謝がないとか、意志の力が弱いとか、両親に対する誤解があるとかー。

それらの事を気づかせてくれるために、与えられたものだということが今はよくわかるのです。摂食障害がなければ、こうして立ち止まることもなく、ただ不平不満をいいながら日々を無為に過ごしていただろうと思います。

こうして摂食障害に感謝でき、苦しみから抜け出せたことは本当にありがたくてしかたありません。これからは、先生に言われたように、未来に向かって夢や希望を実現していくことを、私なりに少しずつやっていきたいと思います。

そうして未来が開かれていけば、それこそが先生の言われる「苦難は幸福の門である」という“苦難観”であり、私の摂食障害も自然に癒されていくのだろうと思います。

最後に、ここでの生活は強制されることが何もなく、好きなことをしたり温泉に入ったりでき、はじめは戸惑いましたが、だんだんと心地よく感じるようになりました。朝起きてご飯を食べることも、今までは何時に食べなければ、と縛られていましたが、今は自然に任せそういうものがなくなりました。

人間は本来、頭でいちいち考えなくても、自然のリズムがちゃんと体に刻まれているんだ、と改めて感じました。

3日間断食もしましたが、さほど空腹感を感じることもなく、体のだるさが多少ありましたが、それは治療をしていただいた角谷先生に「今まで甘いものを食べ過ぎていて、その毒素が出ているんだよ」と言われ、なるほどと納得しました。

鬼木先生、角谷先生、スガコさん、本当にありがとうございました。そして、1週間朝に夜に私をお世話してくれた田口君。楽しかったです、ありがとう。

岡山でも、しっかり感性の勉強を続けます。またよろしくお願いします。