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うつ病(感性内観療法を柱とする感性療法スキルにて快癒した症例)

うつ病(感性内観療法を柱とする感性療法スキルにて快癒した症例)
うつ病はじめ精神疾患。ニートや引きこもり、摂食障害(過食・拒食)、アトピー、がんなど身心のストレスを原因とする病状は、感性内観療法を柱とする感性療法スキルを施し、さまざまな身心のストレスによって、抑圧された感性を解放して、病状から脱皮することができる。

感性療法スキルとは
人生の偏見、誤解、錯覚、思い違い、勘違いなどが招く、生き方や考え方、観方の誤りや偏りによる身心のストレスを解消。
さまざまなストレスによって、抑圧され歪んだ感性を解放して、みずみずしい感性の生きる力を復元する療法。

そのスキルとして
1.身心のストレスの原因になっている、人生の偏見、誤解、錯覚、思いちがい、勘ちがいなどの自己矛盾、自縄自縛を解き放ち、壊された感性の核となる「信」を回復し、感性の生きる底力を復元する感性内観療法。
2.身心の毒素をデトックスする断食内観療法。
3.閉じた感性を解放し身心とも自由になる感性長息法(呼吸法)と笑いの療法。
4.マイナスイメージから発するマイナスエネルギーをプラスイメージから発するプラスエネルギーへと変身させるセルフイメージ(自画像)療法。
5.理性を中心とした建前の生き方から、感性を主体とした感動の生き方、考え方、働き方へと変革させる等の生活革命療法。

6.感性の実感に即した直感的アドバイス
以上の療法を適切に施し、病状を復元する。精神面からのアプローチとしては感性療法スキルを、肉体面からのアプローチとしては温熱療法を身心の統合療法を施し、確かな相乗効果が期待できる。

なお感性療法スキルは、炭素温熱ドームの中に入って、自分と向き合いセルフケアできる。そのことが炭素温熱ドームの器具そのものの付加価値や治療効果を数倍高めることになる。

糖尿病、アトピー、がんなど血液改善や体質改善が必要な人には、烏骨鶏の卵油と万田酵素を併飲することによって、身心の統合療法の治癒効果を高めることができる。

[症例報告1] 母への恨み、憎しみが、感謝に変わった。
箕輪則子(主婦 当時34才 神奈川県在住)

最も感動的な実証例として、今尚、則子さんのとの情景が如実に蘇ってくる。
感性内観療法の確かさを実感できたことに感謝。詳しくは拙著「母と子で開いた感動の扉」を参照。

則子さんの両親は、生後8ヶ月のときに離婚された。それからの則子さんは、30数年の長期間に亘って、いつも心のなかは空疎で、寂しく自分の本当の心を打ち明けて話す友人はできなかった。
あるキッカケで感性内観療法の実習を体験し、母への思いが一変してしまった。

則子さんは母のことを、いつも「私を捨てて実家に帰った憎い母・・・」としか考えられなかった。そんな思いが長年続いたので、いつもどことなく寂しい表情をしていた。

則子さんにとって、感性内観療法するといっても、お母さんの顔も知らないし、「お母さん!」と呼んだこともない。

母のお腹の中で育った十月十日と、生後の8ヶ月だけであった。そこで則子さん自身が母親になったつもりで感性内観の実習をしてもらった。

「お母さんは、私を妊娠したことを知って、お腹の中にいる私という小さな命を大切に、五体満足で丈夫な赤ちゃんとして恵まれて生まれますようにと、毎日祈るような思いで則子中心の生活をしていたにちがいない。
はげしく動いたり、重い物を持ったりして流産しないように、食べ物にも気を使って、それはそれは祈るような思いで生活をしてくれたにちがいない。」

則子さんはこれまで、自分から観た母、自分で考えていた母を、一方的に恨み責め続けてきたが、それが大変な思いちがい、錯覚、勘違いではなかったのではないか。
そこに感性内観を通して気づいて、なんと愚かな自分の姿が観えてきた。母への申し訳ないという詫びたいような思いが募ってきた。その思いとともに憎しみが薄らいでいくのを感じたー

「お母さんのお腹に戻りたい!」と、無意識にも奇声を発した。まさにお母さんのお腹の中にいる赤ちゃんになってしまったような感覚になった。
なんとも言えない初めて味わう心地よさを感じながら、この世に誕生して8ヶ月間の感性内観実習に入ることになった。
そのとき小さい頃、叔母から聞かされていた話が、思い浮かんできた。いつの間にかすっかり忘れていた話。

「生後8ヶ月の頃、離婚した母は、私をふところにしっかり抱きしめて、実家に帰ろうとバス停でバスを待っていた。
そのことを知った姑が、血相を変えて追いかけてきて、母のふところから私を奪い去って行ってしまったー。」
この情景が目に浮かんでどうしようもなく「その時、お母さんはどんなにか悲しく辛かったにちがいない」という思いにかられて、とめどもなく涙が溢れて、その場面が現実の今の出来事のように広がっていった。

「いま、お母さんはこの世で生きているのだろうか。もしや死んでしまってこの世には生きていないかも知れない」
そのことを思うと、どうしようもなく居ても立ってもおられずお母さんを探して、お母さんと呼んでみたいという衝動に駆られ、則子さんは優しい母を慕いこがれる少女のような気持ちになった。

それから、あちらこちらを探し求めて、母が横浜にいることを探し当て、死んでいなかったことが確認できてホッとして胸を撫で下ろすことができた。
興奮の気持ちも冷めやらず、母の家を尋ね、母と娘が34年ぶりに対面できた。
初めて会った母の目には、大粒の涙を一杯ためていた。
お母さんは、則子さんが赤ちゃんのときの写真を、肌身離さず大事に胸に抱いていてくれていた。

それからの則子さんは東京から横浜へ引っ越して、母と娘の交流がはじまった。
まさに娘が母を恋しく慕うという、人間の本能に目覚め、母への偏見、誤解、錯覚を拭い去り、感性が感じる真実の姿へと復元できた症例として喜びに耐えない。


[症例報告2] 苦しみ続けた22年間、うつ病から解放された!
大川恭子(主婦43歳 千葉県在住)

うつ病の症状は、主人の実家に行けない。とくに姑に合うとパニックになってしまう。過食が止まらない。吐かないで食べるので太ってしまう。
いつも気持ちがイライラして落ち着かない。家事も何もしたくなかった。
子供の顔さえ見たくない。子どもたちに当たり散らしてばかりいた。毎日布団の中で落ち込んで、気力が出なかった。リュウマチや乳腺炎などにも悩まされていた。

対話カンセリングで分かったことは
祖母は、恭子さんを自分の所有物のような扱いをしていた。いまから思うと祖母の感情のまま支配されていた。祖母は病的なところがあって、祖母の怒りに触れると殺される。この家には居れない。いつも怖い存在であった。

小さい頃は、母と寝るのが当たり前なのに、4才までは祖母と一緒に寝ることを強いられていた。母のそばに居たいと思っても祖母には言えず、母との話しさえ自由にできなかった。

外出から母と二人で帰ってくると恭子さんを叱る。母を人間扱いしない。母の靴は勝手口に置く、玄関には置かせない。
父も祖母には何一つ逆らえない。テレビも好きな見たいものも見ることができない。
そんな具合だから祖母の前では、怒られないように、スナオで良い孫娘を演じるしかなかった。

そんな生活をしていたので、家に居る自分と外に居る自分との二面性がひどくなっていった。中高生になって本音がどこにあるのか、本当の自分がわからなくなってしまった。
一人で居ても何をしたいのか、意欲がなくなって、自信がなくなってしまった。高校2年生のとき、一番仲の良い友人からひどく怒られて、人が怖くなって1ヶ月間学校を休んでしまった。
大学に進学したが一年で退学してしまった。

うつ病の原因は、生育プロセスの大切な時期に祖母の怖い言動によって、感性が抑圧されたこと。それがトラウマになってしまった。それに父母とのスキンシップが十分でなかったため感性が健全に育っていなかったことが、うつ病の症状をつくっていた。
そのことによって感性の核である「信」が壊され自分に対して自信が持てなくなってしまった。
この症状を人格の病と言っている。壊された感性を解放して「信」を復元することによって、うつ病から脱皮できた。
まず通常通り母、そして父に対して感性内観療法を実習体験した。
母は毎日、忙しく働いていたので自分たちの子どもの世話を祖母に任せていた事実を理解することができた。母も父も子どもには、ことのほか優しく祖母に遠慮しながらも、精一杯の愛情を注いでくれたことが、涙がでるほど嬉しく実感できた。
その子どもを思う切なる真の愛情にふれて、ありがたいと感謝の気持で溢れる涙を抑えることができなかった。

祖母に対しても感性内観療法を体験した。父母のときとはちがって、ほとんどありがたい感情は出て来なかった。
むしろ祖母自身の病んでいる姿を観て、寂しい人ではなかったのではないか。同情する気持ちになっていた。哀れな人は自分ではなくて、祖母の方ではなかったのではないかとさえ思った。
自分が祖母に異常にも怖がっていた自分を観ることができた。しかも大人になった今でもその怖さを現実の如く引きずっていた自分がいた。

つまり大人になった今でも、祖母の怖さというしがらみに惑わされ、小さい頃からの非現実な自分を観ることができて、バカバカしいと思った。
時間錯誤していた哀れな自分を受容し包摂することができた。
自分で自分を縛っていたトラウマから解放され、何とも言えない心の自由を実感した。

この時はじめて、現実の自分を取り戻したように感じた。感性内観療法を体験して数年が経過した今でも、子どもたちと楽しい日々を送っている。
うつ病から解放された自分の体験を語ることによって、少しでもお役に立つことができれば願っている。

[症例報告3] 心身症、うつ病との出合いが、身心の「自分療法」へと導いた!
鬼木豊(身心健康堂グループ代表 78才 男性 静岡県在住)
1.「自分療法」のはじまり
20代の前半、心身症、うつ病と出合い、苦悩の青春時代を過ごした。職業は企業の電気設計技師。
戦後の日本を復興へ導いた、高度経済成長の真っ只中。日曜・祭日の出勤。散髪のヒマさえないほど働いた。早出、残業の毎日。仕事に終われ忙しい日々であった。
そんなハードな生活が、身心のストレスをつくり、身心の病を招いた。その思い考え方が大きな間違いであったことに気づくことになる。

ちょうどその頃、「病気は生活の赤信号、苦難は生活の不自然さ、心のゆがみの映った危険信号である」つまり苦難、病気の原因は「我がまま」「人と調和せぬ生活」のメッセージという丸山敏雄先生(文科省・社団法人・倫理研究所の創始者)の自然な生き方、正しい働き方を学ぶ機縁をいただいた。

毎日、実践に励み、生き方・考え方・働き方の改善がつづいた。
早寝・早起き。目が覚めたらすぐ起きる。
気がついたらすぐに行う。即行直行の実践。
仕事は進んで喜んで朗らかに安らかに働く、喜働の実践。
自分を信じ、人を信じる。人と仲よく和合する。
親祖先を敬い、感謝して生活する
自然の天候気候と調和し、スナオに受け入れる。
等々人間生活の基本を学び、実践に努めた。

毎日、朝目が覚めたらすぐ起きる。この実践を続けることによってグズグズして行動しない。物事を先にのばすナマケぐせがなくなった。
時間、仕事から追われた生活から、時間・仕事を追いかける生活へと変身した。

この気づいたらすぐに行う即行直行の実践が、私情雑念を去って、働く喜び、生きる感動を感じるようになった。
仕事は進んで喜んで働く。喜びという潤滑油をつけて楽しく働くと、ますます喜びがわいてくる。物事が面白いほどはかどり、うまく進行していく。
イヤイヤながら不足不満の心で働くのではなく、進んで喜んで働くようになって、生活のすべてが楽しくなった。

これまで消極的な考え方から、積極的な考え方へ。否定的な考え方から、肯定的な考え方へと変わった。毎日、進んで喜んで朗らかに働く。暗い不安な心が、明るい生活へと、将来に希望が持てるようになった。自分にも自信が持てるようになって、未来に夢を描く愉しみを知ることができた。

人間は、内面的に自分の気持をマイナスイメージからプラスイメージへ変えて行くことによって無意識的にもマイナスエネルギーからプラスエネルギーを発することになって行く。
気の持ち方しだいで、人はどんなにでも変われること知って驚いた。

人間、尊厳性と動物との大きなちがいが、ここにあるのではないか。動物とはちがって、人間の偉大性がここにある。魂の喜び、生きる歓び、働く感動を求めて生きているのが人間ではないか。

毎日、進んで喜んで働いた。この働きの歓び、感動が心身症・うつ病を快癒した。薬、医者、病院などに依存せず、自分の生き方、働き方、考え方を変えることによって、自分でつくったうつ病を克服できた。
忙しい毎日の生活が、身心のストレスをつくり、身心の病を招いたと思い込んでいた。
そうではなくて自己中心的な自分のワガママで強情な心、歓びのない不足不満の心、感動して働かない心に本当の原因があったことを深く自覚できた。

この気づき、発見が、いま提唱している家庭で誰でもできる自分療法のはじまりとなったことは、まちがいない事実である。
心の変化が、身心の健康を回復したばかりか設計技師としての技能はレベルアップした。人間的にも巾が広がり、磨かれ鍛えることができたように思う。

2.身心養生苑の着想と原形
満10年の設計技師の仕事にピリオドを打ち、S39年1月5日(東京オリンピックの年)九州から上京した。人間の生き方、考え方、働き方など人間観や人生観について、本格的に研究したいという志を抱いて、倫理研究所の研究員として入所した。

その数年後、静岡県御殿場市に所在する富士研修所・富士学苑の教育担当を拝命。
研究生の教育実践として全国の青年男女を対象に、実習生とともに生活訓練に励む毎日がつづいた。早朝、心身の鍛錬。武道に始まり午前中は講義。午後は農耕作業による喜働の実践。夜は各自、自分に向き合って、自己を見つめ調べる内観実習。ここでの実習生の研修が、好評を得て企業の社員が、参加するようになって盛んになっていった。

この5年前後の実践体験が、いまから18年前に開設した、身心養生苑の着想と原型になった。この間、多くの来苑者のお世話を通して、人は自分の生き方、働き方、考え方を変えることによって、自分の人生を変えることができる。そのことによって感動と自由のある人生を創造することができることを、むしろ来苑者に学ぶことが多いように思う。ありがたいことである。

3.身心健康堂と身心養生苑を設立した創造の力
S62年の夏、芳村思風先生(感性論哲学創始者)との出逢いが、契機となって多くのチャンスと人脈を引き寄せ、結果として、身心健康堂と身心養生苑を開設して、自律神経免疫療法をベースにした身心の統合療法を治癒することができた。

その創造の力とは、感動を求めて生きるという感性を主体とした本音の生き方、考え方、働き方にある。まず、感性論哲学の根源的統一の論理と丸山敏雄先生の教えと吉本伊信先生(内観創始者)の内観法とが、渾然一体となって大きな創造の力となったように思う。

それは内観法に感性論哲学の原理を導入することによって、さまざまなストレスによる抑圧された感性解放する感性内観療法へ進化成長することによって、その確立が身心の症状治療に画期的な効果をもたらした。

さらに安保徹教授の自律神経免疫療法を中心に、
・浅見鉄男内科医の井穴・頭部刺絡療法
・石川洋一外科医のふくらはぎマッサージ療法
・村上和夫先生い(遺伝子工学の第一人者)の笑いの療法
・気の大家・河野十全翁の寝禅
・温熱器と炭素温熱ドームによる温熱療法
・血液と体質を改善してくれる烏骨鶏の卵油と万田酵素等々

身心の症状に対する適応範囲を確かな療法として、拡大することができたのではないかと思う。
その症例報告は、体験された一例である。
近い将来、体験症例として、まとめて発表したいと考えている。

[症例報告4] 7年間のニート・引きこもりか脱出!
太田浩樹(身心健康堂にて修行中 45才男性 都内在住)

H24年4月後半、安保徹先生(新潟大学医学部教授)との共著「免疫道場」(幻冬舎刊)を読んで、母と二人で感性内観療法を体験した。

これまで生きてきた過去の事実を通して、自分の生き方、考え方を見つめ調べて自分を模索した。浩樹君が4歳の頃、不幸にして父親が交通事故で急死。その後、母親は生活を支えるため美容師の資格を取得して独立開業した。

二人の息子を実母に預けて、美容の仕事と経営に追われる毎日がつづいた。普通の家庭とは違って、母とのスキンシップが少なくて、感性の核である「信」が健全に育っていなかった。つまり母親の愛情を充分感じないままに育っていった。

中学生のころから、いじめを受けるようになった。そのことを母親にも言えず苦悩の日々を過ごした。高校を卒業して東京の某大学夜学部に進学したが、バイトに明け暮れ、大学には行けなかった。ついにアルコール依存症になってしまった。体を壊し母親に連れられて、郷里の病院に入院した。

その彼が、感性内観療法を母と二人で体験した。これまでの母に心配と迷惑ばかりかけて申し訳ない。自分のことで母がどれだけ苦労してきたかが実感できた。なんとかして今の現状から脱皮して自立したい。

その直後、考えるところがあって30日間の長期実習生コースに挑戦した。その結果めでたく温熱療法師とふくらはぎマッサージ療法師の資格認定証を取得した。母親の喜びようはひとしおではなかった。浩樹君の自立を亡き夫に祈るような思いであった。

そのときの太田美恵子(母)さんと更新したFAXレターの一部を紹介。

30日間の長期実習を終えた時の母からのFAXレター
鬼木先生
 30日間長い間、浩樹がお世話様になりました。鬼木先生の大きな懐の許、今までかちかちに固まっていた浩樹の心がどんどん花開き始めていく感じが致します。浩樹も先生の父親役に充分満足している様子です。昨夜帰宅した時の顔は、とてもすっきりした爽やかな表情でした。私との会話も自然にできました。鬼木先生との出会いは私達親子のとって素晴らしい“ご縁”。感謝の気持ちでいっぱいです。本当にありがとうございます。
 これから一週間の間に 一年に一度の大腿骨頭死症、人工関節置換手術の健診、父親のお墓参り、アパート探し、引っ越しと慌ただしい日々が続きますが出来るだけ早く お茶の水身心健康堂での修行を始める事が出来るよう準備を致してまいります。
 また一つ、大きな段階を進み始めることになります。気を引き締めて見守り続けたいと思います。
 先生これからも引き続き、お世話様になりますが、どうかよろしくお願い致します。私達親子のためにもお身体大切にお過ごし下さい。心からいっぱいの感謝、感謝を込めて“ありがとうございます”
6月13日 太田美恵子

いよいよ自立のための東京生活が始まる時のFAXレター
鬼木先生
 今、浩樹が東京に旅立ちました。明日、午前中に引越の荷物が届くことで部屋の鍵を受け取る、またアパート周辺をいろいろ確認しておきたいこと。浩樹の気持ちは、出来れば浅草橋のアパートからお茶の水身心健康堂まで徒歩で通いたい様子です。引越の荷造りも手際よく上手に出来関心しました。12日に長期実習を終え、帰ってきてこの一週間様子を見ていると成長しましたし、頼もしくもなりました。
 鬼木先生のお陰、成澤さんのお陰です。感謝の気持ちでいっぱいです。
 養生苑で一人で生活した日があったこと、今までで浩樹が初めてであったことを誇らしげに話してくれました。温熱療法がまだよくわからない、時間がかかることをとても心配していました。一日一日少しづつ技術を習得してくれることを願っています。6月20日からお茶の水身心健康堂でお世話になる予定です。技術を習得するための努力をし続け規則正しい生活をし充実した日を過ごし人間として成長してくれることを願っています。鬼木先生、宜しくお願い致します。浩樹も気を抜かず頑張れー!!

浩樹が決断した日       5月5日 子供の日
長期実習を始めた日      5月13日 母の日
今日、偶然、東京へ旅立つ日  6月17日 父の日

とても良い予感が致します。
乱筆乱文にて失礼いたします。

6月17日 浩樹の母 美恵子

美恵子さま
 本日6月17日、浩樹君が東京へ旅立ちをしたとのこと。まさに5月5日(子供の日)感性内観療法の実習に始まり、5月13日(母の日)の長期実習へつづき、6月17日(父の日)の自立への旅立ち、天の時が浩樹君の自立を味方しているようですネ。
 FAXレターを拝読して、浩樹君が自主的に行動している、気を入れている姿が目に映るようです。
 来る6月20日(水)に初出社の予定の様で、私もお茶の水身心健康堂で迎えることにします。準備のすべてがトントン拍子進んでいて幸先の良さを暗示しているようです。
 物事が順調に進む時は、一気呵成に道が拓けて行くものです。こんな時は喜び過ぎず、感謝の気持ちを深めることを忘れてはなりません。おそらく亡き父上の導きであるに違いありません。
 私たちも共に次なるステップへ前進、成長することをめざして精進努力して参ります。お元気でー。
6月17日  鬼木豊拝

あれから丁度、1年が過ぎた。
浩樹君は、東京お茶の水の身心健康堂にて、生活訓練、技能訓練、人格訓練を受けながら治療家のサブとして患者さんに寄り添い、温熱療法とふくらはぎ療法のケアをしながら修行中。未来の自分にかすかな希望が持てるようになってきた。

太田浩樹君の声
伊豆高原の身心養生苑、そして東京お茶の水の身心健康堂でお世話になってから、1年が過ぎました。自分でもすぐに止めるのではないかと思っていただけに、いまだに続いているのが不思議です。

ここにお世話になることになって、まず生活が変わりました。1年前までの自分の生活はというと、ダラケきっていました。起きたいときに起き、寝たいときに寝て、食べたいときに食べ、飲みたいときに飲み、やるべきことは何もないという状態でした。

年齢も重ねて、だいぶいい齢になってきたのに、このままではいけないと分かってはいたけど、どうすればいいのかも分からず、やけになっていたところもありました。

そんなとき縁があって、身心養生苑でお世話になって今にいたります。正直に言って将来、治療家として独立開業できるかどうかわかりません。それまでの覚悟はまだできていません。

今の自分の最大の課題は、身心とも自立することです。もし去年、身心養生苑に行っていなければ、今ごろまだダラケきった生活が続き、先も見えずどうなっていたのかも分かりません。まだ完全に自立したとは言えませんが、そのキッカケを与えてくれた身心養生苑、身心健康堂の皆さん、そして母親にも感謝しています。

この先、暗くネガティブな方向に行かず、できるだけ前向きに生きて行きたいと思います。そして母親の期待に応えて行けたらと考えています。

太田美恵子(母)の声
鬼木先生
ご無沙汰致して居ります。浩樹が大変お世話様になって居ります。4月24日で伊豆高原の養生苑にて親子で初めて感性内観療法でお世話になってから1年が過ぎようとして居ります。充実した4泊5日の生活でした。その後、息子ひとりで長期実習に参加、温熱療法・ふくらはぎマッサージの療法師としての研修をすると共に生活態度を見直し、規則正しい生活への指導もしていただきました。
6月中旬から東京浅草橋のアパートへ引越し、お茶の水身心健康堂で見習い・助手としての生活が始まりました。毎日30分徒歩で浅草橋からお茶の水へ通うようになり往復1時間以上歩くようになり、メタボだった身体もスリムになり、また鬼木先生のご指導により、たまにかけてくる電話の声も、すっきりはっきりし、聞きやすい声になりました。
お茶の水身心健康堂に通いだし、初めは夢中で毎日が過ぎ、半年たった頃、いろいろ考え悩む時期もありましたが

なんとか今まで続けることが出来ています。
何もしないで家にひきこもっていた一年前、この1年で大きく飛躍することが出来ました。これからも少しづつで良いから本人が真剣に自分で人生を考え決断し行動し責任をとれるよう努力し続けてくれるよう願って居ります。
鬼木先生槙院長には、大変ご面倒をおかけし続けて居りますが、厳しく優しくこれからもよろしくお願い申し上げます。
乱筆乱文にて失礼致します。
感謝
4月23日 太田美恵子

[症例報告5] 摂食障害が教えてくれた母の愛!
Y・Yさん(事務員 36歳女性 静岡県在住)

5年前来苑されたY・Yさんは、20年前から拒食、過食をくり返し、つらい毎日を送って
いた。もっと自由で楽しい生活をしたいと願っていた。

母に対し感性内観療法に取り組んで、いろんなことが分かってきた。
これまでの事実を見つめ調べて、中学を卒業したとき、父と母が離婚して、幼い自分を置
いたまま家を出て行った母を責めつづけていたこと。

もの心がついたころから、父と母は争いが絶えることなく、いつも夫婦ケンカばかりして、
仲のよい夫婦ではなかった。
自分は、母から愛情も何もしてもらったことはないと思いこんでいた。
ところが内観実習してはじめて分かったことは、自分が中学を卒業するまでは、母は耐え
て耐えて、自分のために離婚しなかったことの本当の理由が分った。

夫婦ケンカしながらも、母は自分のためにせめて中学を卒業するまでは耐えていたことに
気づかされた。子どもへの愛情なくして、ガマンだけでは耐えることはできない。
自分が中学を卒業するまで育ててくれた事実が、なによりの証拠。未熟とはいえそんなこ
とには目もくれず、母が家を出て20年前後の長い間、無責任な母親だと恨んでいた自分
を心から詫びることができた。

この事実を実感したら、母に会いたいと欲求にかられて、一週間の予定を早めに切りあげ
て養生苑をあとにして、母の元へかけつけた。20年間の母と娘との断絶をのり超えるこ
とができた。それがきっかけとなって拒食症状が快癒していった。いまも母と娘の良い関
係がつづいている。

[症例報告6] 断食内観療法が長年の拒食症を解放してくれた!
A・Yさん(34歳女性 都内在住)

H25年2月、東京の身心健康堂にて、断食内観療法を実習体験した。
断食は肉体の毒素をデトックス。内観は精神(心)の毒素をデトックスする目的で実習。

これまで長い間、不眠症、拒食症、パニック障害などで苦しみ悩む。幼少のころから人間
嫌いで、すべてにおいてネガティブな考えであった。

断食内観療法の実習で気づいたことは、症状の原因が、ことごとく自分の生き方にあった
ことを実感できた。その悪しき習慣の自分の実態が、まざまざと観ることができて驚いた。
自己中心的な生き方、エゴばかり強く、強情で傲慢な心的態度が、すべての症状の原因で
あったことを自覚できた。
つまり人生に対する自分の偏見、誤解、錯覚、勘違い、思いちがいなどのまちがいを、苦
しみ悩んだ症状が教えてくれたことに気づいた。

とくに母の深い愛情にふれ、スナオに受け入れることができた。それから気持ちがほぐれ、
身心がストレスから解放された。母に対し感謝の気持ちがわいてきた。
2日目の夜は、ぐっすりよく眠ることができた。3日目の断食明けの軽食は、美味しくい
ただいた。涙が出るほど嬉しかった。
内観実習中、炭素温熱ドームの全身療法を1時間体験。

3日目の午後1時~5時までのふくらはぎマッサージ実習講座に、特別に参加させてもらっ
た。ふくらはぎが、いかに人間の血流循環に大きな役割を果たし、自分の健康を維持して
くれているかが分って感動した。

断食内観療法を体験してこの講座に参加して予想もしていないほど身心の調子がよくなっ
たことを感じた。主人にもこのふくらはぎマッサージをケアしてあげたいと思った。生き
方を改善することによって、摂食障害も改善するものと期待している。

[症例報告7] 人間不信が招いた数回の自殺未遂、
未来の自分に対し希望と勇気がわいてきた!

K・M氏 (社員 36歳男性 都内在住)

H25年4月、身心健康堂にて感性内観療法を柱とする感性療法スキルの3日間を実習体験。
中学3年生の時からいじめを受ける。対人恐怖症になりいつも精神が安定せずパニック障害となった。

感性療法スキルを実習し、これまでいつも変らぬ切なる愛情をかけ、代償を求めない母の真実の愛には、感謝せずにはおれなかった。

いまも尚、自分を受容し見守ってすべてを許してくれていた、純なる母の愛にめざめ、わがままな自分を全的に肯定し、受け入れることができた。


自殺未遂を何回も繰り返し、命を粗末にしてきた自分を、父母は、大きな愛で包んでくれていた。両親に対し、本当に申し訳ない。どうしようもなく自責の念がわいてきた。
父母は自分以上につらく悲しかったにちがいない。つくづくと痛感することができた。

長い間、閉ざした感性が解放され、自分で壊していた自分に対する信頼を、自分で修復し回復することができたように思った。

自分の未来にほのかな希望と勇気がわいてきた。なんとなく自分自身にも自信が持てるような気分になった。
いま社内でスタッフグループの中から、推薦されている役職を受ける決心ができた。自分のセルフイメージ(自画像)が変革したように感じた。

[症例報告8] かきむしるほどのアトピーが快癒した!
S・Kさん (高校2年生 16歳男性 茨城出身)

高校2年生の夏休み、1ヶ月間、断食内観療法を体験した。
最初の晩、シーツが血で染まるほど、かきむしった跡があった。

まず断食は4日間、実施しながら感性内観療法の実習を体験した。断食内観と同時平行して、血液の質を改善するため烏骨鶏の卵油、それに体質改善を目的のため万田酵素を飲むことにした。

自分の変化に驚いたのは、メンタル面の変化であった。自分でもどうしようもなく、親に反抗し親を恨んでいた自分に気づいた。両親に対し申し訳ないと心から詫びた。自己中心のワガママいっぱいの強情な自分が、親に感謝する気持がなく、一方的に求めるばかりでその求めに応じてくれないことに、不足不平の気持が強く、いつもイライラしていた自分の実態を見て驚いてしまった。

断食のひもじさよりアトピーのかゆさの方が、つらかった。両親に対する傲慢な自分の態度には、泣きくずれてしまうほどつらかった。
しかし、その後これまで許してくれていた親の深い愛情に包まれて育んでくれたことに、感性の底からつき上げてきた感謝の気持を押えることができなかった。
親に対する感性内観療法は、何回も実施した。そのことによってイライラしていた感情が、ゆるやかにおさまっていったような気分になった。
3週間がすぎたころからあれほどひどかったアトピーのかゆさが軽減されていった。

烏骨鶏の卵油と万田酵素、それに断食によって血液と体質が変わっていった。
そこにメンタル面の変化による相乗効果があったことも大きかったことを実感できた。

退苑した後も、卵油と万田酵素は飲みつづけて、アトピー症状もすっかりよくなったと、報告を受けた。

[症例報告9] 40年間自立できなかった自分が、自分一人で
       何でもできるようになった!

I・Hさん (40歳男性 大阪市出身)

安保徹教授との共著「免疫道場」(幻冬舎刊)を読んで、母と同伴で来苑。
彼自身が身心養生苑のホームページを開き、自分の探していたのはこれだと決めて来苑した。

40年間、自分一人だけで電車に乗ることも、自動車を運転するすることもできなかった。助手席に父か母が乗っていると運転できた。スーパーへ買い物に行くときも、一人だけではできなかった。

最初は母と、2回目は父親と来苑し感性内観療法を体験した。その後、自分の意志と決断によって、4ヶ月間の長期実習生として、生活訓練と人格訓練の生活を養生苑で過した。

はじめからすべてがうまくいったわけではなかった。
少しづつ一歩々々。自分の生き方の偏見、誤解、錯覚、思いちがい、勘ちがいなどがうす紙をはがしてゆくように、本来の自分に復元してゆく自分に感動した。もちろん自分一人で自動車も運転できるようになった。スーパーへ行って買い物もできるようになっていった。退苑後、弁護士の仕事をしているとのこと。

入苑して3ヶ月目のころ、安保徹教授との講演会を開催した。彼は自分の体験談を多ぜいの前で語った。これには両親は驚いてしまった。
本人にその時の感想を聞くと、たのしかったと言った。心配で気が気でなかった両親は、これまた二度ビックリした。

[症例報告9] 入退院をくり返していた適応障害が9日間で復元することができた!
Y・Kさん (43歳女性 広島県出身)

5年前、Yさんの病状を知って、友人の紹介で来苑された。
感性内観療法の実習に入る前、笑い体操にによる気の発散、感性長息法(丹田呼吸法)による感性療法スキルの実践。

ずいぶん長い間、夫婦間の軋轢で身心が病んでいた。感性内観療法の実習で、母に対して父に対して両親の立場、視点から自分を調べた。
何不自由なく優しく育てていただいていたことに、ただことさらに感謝もなく、当り前のようなく生きてきたことに、今さらの如く、ありがたく感じて涙が流れた。
いまの自分が、いかに父母に心配や迷惑をかけているか、その罪悪感と焦燥感におそわれ、ただただ懺悔の涙が溢れるばかりであった。

つぎは主人に対して内観するのが通例であるが、やりたくないと拒否された。そこで嫁ぎ先に残した息子と娘の2人の子どもに対して内感をされた。いま、母親の愛情を欲しいときに、数年間もの長い間、実家に帰ってしまって、寂しい思いをさせていることに泣き伏してしまった。涙の洗浄によって身心を洗い清めることができた。

帰る間際になって、主人に対して内感をやりたい、申されて夫婦関係を相手の立場、視点から自分を調べ見つめることができた。自分たち夫婦は、幼稚で二人とも身心の自立ができていなかった。とくに自分が幼かったこと、主人を責めてばかりいて、一人相撲をとっていた自分の正体を観た。

自分が居ない留守を姑の助けを借りて、数年間子どもたちを育ててくれていることに、申し訳ないやら感謝の気持が湧いてきた。ワガママの真実の姿を観て、主人に対する偏見、誤解、錯覚が解けて、自分で自分を操っていた厚いカベが崩れ感性が解放されていくような気分になって、適応障害からも解き放れたようになった。
この体験も安保徹教授との講演で発表され、お母さんも同席され感涙にむせび感謝されていた。

[症例報告10] 少年院で苦悩の日々が、自立心を駆り立てた!
T・Kさん (19歳男性 静岡県在住)

T・Kさんは、高校を中退して、暴走族に引き込まれた。そこでいつもイジメられ、ひどくつらい日々を送った。毎日ムカついた日々を過していたそんなある日、交通取締中運転していたバイクを呼び止められたが、止まることなく警察官をはね飛ばして走り去ってしまった。悪質な暴走運転ということで、半年間少年院での生活を強いられた。

自由を縛られた生活は、つらく一時は自分はどうなってもよいと思ってヤケクソになった。
母から手紙や面会でも改心するどころか、指導教官に対しても横柄で反抗するばかりしていた。
自暴自棄になっていた彼であったが、母の数回に亘る面接対話や手紙によって、いよいよ少年院を退院する日がきた。

そのT・Kさんが、猪疑心の目つきをして、身心養生苑を訪れた。いきなり感性内観療法の実習に取り組むことはしなかった。ひたすら対話しながら、かたくななになっている気持ちをほぐすことにした。いわゆる対話内観を施すことにした。

日が過ぎるにしたがって彼は、落ち着いて未来の自分を取り戻していった。自分を信ず力を回復していった。

退苑することが近くなったころ、驚いたことに自分で
1、 ウソは言わない
2、 約束は守る
3、 人のせいにしない
4、 人の悪口、陰口は言わない
5、 グチを言わない
という自分との誓いを書いてきた。

T・Kさんは数ヶ月ぶりに我が家に帰ることができた。帰り着いたその夜、暴走族の幹部の家をたずね、暴走族の組織を断退することを宣言できた。そのことを後日、彼から聞いて驚いてしまった。いまでは自立して、電気工事関係の仕事について頑張っている。

[症例報告11] 警察の厄介になった長男が自立へ向う!

4年前、長男と父母と3人で、感性内観療法を体験した。母は小学校の教頭、次期校長という責任ある立場であった。ところが長女そして長男までもが、高校を中退した。母は自殺したいほど悩み苦しんだ。一時はうつ病、ノイローゼになって2人を殺して自分も死のうと思いつめたこともあった。

父親は公務員として裕福な家庭で、苦労もなく育った。長男は暴走族になって、何回も警察の厄介になった。反省するどころかエスカレートして生活は乱れるばかりであった。父母は同室で感性内観療法に真剣に取り組んだ。

長男は生まれてはじめて、母の視点に立って自分を実態を観た。父母は仲のよい夫婦で、
手ぬきすることなく愛情を注いで自分を可愛いがってくれた。それに対して自分は、何一つ恩返しをしたことはないどころか、心配と迷惑の苦労ばかりをかけている自分を、観ることできてガクゼンとしてしまった。

母の内観は、長男以上に深まった。教師という自意識ばかりが強く、娘や息子に対して厳しい母親であったことをザンゲした。家庭も学校の延長のようなもので勉強ばかりを強いた。その反動として2人の子どもは反抗の姿をとってしまったことが分った。母親として子どもへの接し方のまちがいを教えられ、気づくことができた。

一方長男は、母を通して自分の甘さ、ワガママを気づいた。母が死にたいと言っていた理由が本当に分った。これからは暴走族を止めて、大検の資格を取って大学に進学し、母を安心させることを誓った。また自分の将来に対しても希望を抱くことが出来た。